Oh, So Funny

日常のこと。

飽きが怖い

前置きが長いうえに、エゴ丸出しの醜い話をする。


世の中には知らないものが数多く存在する。

自分が体験したことのない、そもそも“存在を認識していない”ものが確実にある。
それこそ人生を変えてしまうような、強烈な刺激を受けられる“なにか”がまだ世界には眠っている可能性がある。


もし明日、偶然、今までに体感したことなく、今までになく熱中できるような、なにかを見つけられたとしよう。
それはとても幸運なことだと思う。「こんなものがあったなんて!」と歓喜に沸くはずだ。
新しいなにかにのめり込み、生活は一変するであろう。

それは喜ばしいことと同時に……私はとても怖く感じるのだ。

もし、新しいものを見つけたとき、今まで熱中していたものはどうなってしまうのだろうか。

時間は有限である。新しいものを楽しむと同時に、今までのものを今まで通りに楽しむことは不可能だろう。
そして徐々に新しいものに傾倒していき、今までのものに触れる時間は減っていく。もしかしたら減るどころかゼロになるかもしれない。

いわゆる「飽き」が来るのである。

私はこの「飽き」がとても怖い。

あんなに好きだったのに、飽きると見向きもしなくなってしまう。関心が無くなるのだ。

生きている間に時代は変わり、様々な出会いがあり、多くの刺激を受けた結果、趣味嗜好が変わってしまうのは仕方ないことだとはわかっている。
ただそうやって新しいものに触れてきた結果、今まで触れてきたものの関心が薄れていくのはとても怖いことではないか。

自分の人生を振り返ってみると、色々なものに興味を示し、手を出してきた。
しかし、今も続けているものはかなり少ない。


そのせいか最近、こう考えるようになってしまったのだ。
「いつか飽きてしまうかもしれないのに、果たしていま、自分が楽しいと感じている気持ちは本物なのだろうか」と。

もし明日、偶然、今までに体感したことなく、今までになく熱中できるような、なにかを見つけてしまったら。
今ハマっているこれはどうなるのかと。

このことに気づいてから私は心から楽しいと思えることが減っていってしまった。
なにせ明日には飽きてしまっているかもしれないのだ。

手を出した当初は「お、これは!」と思うものの、翌日には興味がなくなってることは、正直少なくない。 もちろん昔から今までずっと好きなものはある。たぶん死ぬまでゲームは遊ぶだろうし、映画も観続けると思う。

まぁ所詮趣味の話だ。やろうがやるまいが自分次第。他人からは「あいつ飽き性だな」と思われて終わりだろう。

――そう、趣味ならばそこまで怖くはないのだ。


私が一番怖いのは、この「飽き」が、人に向いてしまったときである。

長い前置き終わり。


たとえば漫画を読んでいたとき、「この作者、デビュー作は面白かったのに2作目も3作目も面白くないな。もう買わなくていいか」と思ったことはないだろうか。

この場合、飽きたのは「漫画を読むこと」ではなく「とある漫画作者」になる。
サラッと、簡単に、人は人に飽きるのだ。

一発屋”と呼ばれる人たちがいる。わかりやすいのは一発ギャグで流行語大賞に選ばれたものの、次の年ではほぼ見る機会がなくなってしまった芸人などだ。
たとえば、2014年(たったの5年前だ)に「ダメよ〜ダメダメ」で流行語大賞を獲った「日本エレキテル連合」なんかはテレビで全く見なくなってしまった。
テレビはわかりやすい。みんなが飽きて見なくなったから出なくなっただけだ。

大多数による「飽き」の暴力である。


こんなこと書いておいてなんだが、私も少し前までは特にこのことに違和感はなかった。
世の中そういうものだろうとしか考えていなかった。

これが怖いと思ったのは、地下アイドルにハマってある程度時間が経ってからである。

最初にハマったグループはそこそこ長い期間通っていた。定期公演やワンマンはもちろん、対バンもなるべく行けるようにしていた。
しかし、ほかのアイドルグループも見るうちにそちらにも行くようになり、徐々に、徐々に、元々行っていたグループへ足を運ぶ頻度が減っていった。

当時は「知らないグループを見るのが面白いから」と考えていたのだが、今考えると単純に通っていたグループに飽きたのだろう。

「少し離れたところでまた戻ればいいか」と考えていたのだけれど、後から「自分は飽きたんだな」と気付いたとき、怖くなって戻ることができなくなってしまった。

もし、自分が飽きたということを相手が察していたらどうしようと考えてしまったのだ。

自分が勝手に離れていったのだ。身勝手で失礼な話だとわかっている。
しかしやはり、相手が気付いているかもしれないと考えたらどうにも顔を合わせることができなかった。

自分が飽きたということは、相手も飽きている可能性もあるのだから。


色々書いてきたが、つまり私は、「飽きる」のが怖いのではなく、「飽きられる」のが怖いのだ。


この世には数多くの人間がいるが、実際に出会い、互いを認知し、仲を深める存在になる者は全体で見るとほんの一握りしかいない。
しかも出会いは良いものばかりではなく、自分と波長が合わない人間もいるだろう。
だからこそ、自分が良いと思える人とは長く付き合いたいと思うものである。

しかし、前述したとおり、その付き合いにもいつの日か「飽き」が来るかもしれない。
それは自分ではなく、相手に訪れる可能性もある。

自分が好きな人たちが、気がつけば自分に飽きているかもしれない――

それは、とても、考えるだけで身震いするほど、恐ろしい。

だからこそ、いま、自分がとても大事にしている人たちには精一杯の心を持って接していきたい。



…………この気持ちに飽きが来ないことを願うばかりだ。